『米子久徴会こと始め』と題して、 6期の田中  剛さんに語っていただきました。

1981(昭和56)年頃、筆者の従来からの取引(仕入れ)先である島根米穀(株)の担当セールスとして、出雲高校11期卒の桑原 博之君が訪れるようになった。

それまで一面識もなかったが、「先輩」「先輩」と言って親しく立ち寄ってくれる。それから間もなくの頃「米子地区久徴会を作ぅましょや」と持ちかけてきた。最初は「いかにもベテランセールスマンの単なるお愛想口」とも取れなくはなく、無精この上ない筆者のこと、適当に受け答えしていたが、余りの熱心さに 「お前さんが事務局でも引き受けて、やってごす気でもああかや」と水を向けてみた。


 「いや、そりゃこの米子でなんぼでも引き受けてごすなあ人は、ああますわね」と言う。
 “やっぱし”と思ったが、よく聞いて見ると、この米子の著名な老舗坂口合名会社に、支配人をしている 8期卒の天野 昌世という人がいて、以前から取引もあり、ちょくちょく会って下話をしているとのこと。
一応、当地に住むようになって十数年。だが、仕事に追われ続け、同期卒の連中とも、ろくに連絡も取れないままで、もとより、他の期に誰が居るのか知る由もない。会ってみると、鷹の沢(註:出雲高校)卒であることだけですぐに意気投合。天野事務局長の線で、一気に進めることにした。 先ず、何と言っても頼りになるのは、同期( 6期)の友。当時、米子には周藤 秀彦、柳楽 四子武、宮本 卓郎、金田(山本) 文子の4君が居た。早速声を掛けると、いづれも二つ返事。中でも柳楽君は「自分も取引の関係で、天野君はよく知っている」と言う。ともかく、取り敢えず、高校卒(除旧高女卒)のみに限定して出発しようと言うことになった。すれば、恐らく 6期が最年長の期となると思われるので、我々が会長候補を立て、設立総会を開こうと、周藤 秀彦君を推すことに決めた。

 当時、彼は米子の山陰労災病院の外科部長をしていて、多忙を極めていたが「全面的にフォローするから」と、半ば強引に引き受けて貰うこととした。ところが、天野君等の尽力で、出雲高校より名簿を取り寄せ、手分けして当地区在住の主な卒業生に準備会の案内を出し、招集したところ、当日、一期先輩の 5期の高橋  清さん(当時、山陰放送勤務)の顔があった。それでは年序から言って、会長をお願いするべきかとも思ったが、既に周藤会長の線で進めている以上そうもならず、別室で密かにこのことを打ち明け了解を求めたら「何の異存はない」と快諾頂き、会規約案も作成し、第一回設立総会の運びとなった。新会長の指名で、副会長には柳楽君、筆者田中の2名が任命された。当初、会長、副会長をすべて 6期で固めるのは如何なものかと思ったが、産婆役の責任上引き受けることとした。

そして、新会長の提案で毎年総会時に講師を招き、一杯飲む前に少し勉強しようという事となり、通年立派な講師を迎え、参加者数は思うに任せないものの(30~40名)、和やかな意義ある会になっていた。
ところが、丁度 4年目に、残念なことに、周藤会長に個人的な転勤の話が持ち上がり、次期会長を決めなければならなくなった。 「次は副会長から」と周藤会長から相談があったが、矢張りそれでは同じ期のたらいまわしとなって面白くないとして、柳楽副会長と相談の上、高橋先輩を推薦した。先輩は「当然君らがやるべきだ」として固辞されたが、その訳を話すと 「ならば、一期 2年だけ」と念を押されて、引き受けて頂く事になった。 そして、その間、精力的に旧高女卒までに呼びかけ、出雲久徴会本部より高橋  稔会長(米子会長の実兄)以下役員を招き、名実共に「米子地区久徴会』として、発展的に再出発することとなった。そして、高橋会長は、当初の約束通り、一期 2年で引退。


  「是非に」と言われ、不肖私が、 3代目の会長をお引き受けすることになった。
 暦年、会員数、出席者数共に伸び悩み(米子地区在住者数250~260名、入会会員数約60名、常時総会出席者数30~40名)会員増加を念願としてきたが、思うに任せず 2期 4年で交替することとした。
 「次ぎの会長は、柳楽副会長に」との思いがあったが、これも同期のこと、了解を求め、長年、事務局長、副会長として協力して貰った天野君に後事を託した。

 現在は、 9期の内藤 重徳君が会長となり、やや若返って運営されているが、尚、会員増強の実が上がって、隆盛に向かっているとは、必ずしも言い難い。いかにも、若返るということは、逆に、働き盛りで忙しい年代になるということでもあり、これも又止むを得ないことであろう。ここらで、又、高橋会長の時のひそみに倣うのも、一案ではとも思われる。しかし、常連出席組や役員等は皆兄弟姉妹の如く、喜々として年数回の出会いを待ち望んでいる仲間ばかりだ。思えば、最初に仕掛けて、早々、出雲に帰ってしまった桑原君の口車に乗ったのが、事の始まりだったが、それにしても、お蔭でこの無精極まりない自分に、沢山の掛け替えのない友人、知遇を与えて貰ったことに感謝しなればならない。


現在、本文記載以外の次の方々が数々の役を積極的に引き受け、ご尽力頂いている。
  馬庭 淳悦(現顧問、 8期)・山名(加儀) 正恵(現副会長13期)
  湯原  勉(現副会長16期)・大森(為石) 晏子(現総務担当幹事13期)
  柏木(原) 佳(現総務担当幹事17期)、その他沢山の方々。
 尚、高女 9期の原本(布野) 光子大先輩には、当初より、今以て顧問として、カクシャクとして、ご協力頂いていることを特筆せねばならない。