懐かしい山高時代の写真・周辺写真をお持ちの方がいらっしゃいましたらDATAでご提供ください。
「雲出る国」出雲、「八雲立つ国」出雲
「雲出る国」出雲、「八雲立つ」・・・この夏帰省した際のお話(WebMasterの独り言)です。
高校時代から出雲の「雲」の種類の多さに魅せられています。
否、出雲を離れてその感が強くなったと言えると思います。
出雲高校の校章も「八雲」を型どっていますよね。
高校時代は地学部がスライドで出雲の夕焼けを上映していたことを覚えています。
斐伊川土手から見る出雲の空、雲、朝陽、朝焼け、夕陽、夕焼け、斐伊川の流れ、田園風景、山並み、いずれも好きです。
なので、帰省時は散歩しながらスナップを撮っている訳ですが・・・
今回新しい発見がありました。
斐伊川の下流はるか彼方に見える山から雲が湧いているではありませんか!
神秘的な風景です。
二つの山の右のちょっと低い山から雲が湧いているように見えませんか?
この光景を見た時に少し身体が震えたことを覚えています。
この二つの山は何処???
と、いろいろ調べて見ますと、松江の東側にある、嵩山と和久羅山であることが判りました。
「嵩山」・・・「すうざん」?中国の山の麓には少林寺があり、禅宗の発祥地とされています。
何かある!と更に調べて見ると、「すうざん」ではなく、「だけさん」と読むんだそうです。
「だけさん」「わくらやま」だそうです。
でも、なかなか歴史的にも興味深い山ですね。
ここでは簡単に、
「嵩山」は、出雲国風土記には「布自伎美高山(ふじきみだけのやま)」とあり、頂上には、延喜式にも登載されている布自伎弥(ふじきみ)神社が鎮座しているとのこと。
「和久羅山」は、風土記には女岳山(めだけやま)とあり、嵩山を偉丈夫の男性に見立て、これに寄り添う形の、山容の美しい和久羅山を女性に見立てたようです。
松江市内から見るとお釈迦さまが入滅したときの涅槃仏のようにも見え、戦前の旧制松江高校生らは「メッチェン(女性)山」と呼んで親しんだそうです。
ちょうど女性が仰向けに寝ているように見えるところからついたニックネームです。この場合、和久羅山が頭部で、嵩山頂上の布自伎弥神社の森がバストというわけです。写真でもそのように見えますね。
詳細は、http://www.city.matsue.shimane.jp/jumin/explore/repo17.htmをご覧いただきくとして、出雲にはまだまだ私が知らない世界が多く埋もれているのだと再認識した出来事でした。