
第191回「淀川を歩こう第11回」(3月例会報告) (12期 伊藤(巌)さん)
開催日:2025年 3月 2日(日)淀川を歩こう第11回を開催しました。
参加者:11名(荒木・池田・太田・大谷・瀬崎・高崎・長澤・原・森・渡辺・伊藤)
コース:大阪メトロ天神橋筋六丁目駅―長柄橋―淀川左岸―阪神淀川駅
報告:
天神橋六丁目駅を北上し長柄橋へ。
昔この橋の工事は難渋し、橋奉行らが雉の声を聞きながら人柱を立てる事を相談していた処に男が妻と子供を連れて通りかかり、「袴に継ぎのある人を人柱にしたら上手くいく」と言ったがその男の衣装がそうだったので捉えられて人柱にされた。
悲しんだ妻は
「ものいへば父はながらの橋柱なかずば雉もとらえざらまし」
の歌を残し淀川に身を投じた。
この伝承が口は災いのもとと言う諺の由来という。
ここから淀川堤防を歩くが、淀川左岸工事のためあちこちで通行止めがあり大変だった。
そのため予定していた富島神社と佐伯祐三の生家等はいけなかった。
阪神淀川駅にゴールし解散した。
2025.01.03「一と百の会」特別例会『新春凧上げ大会』開催

2005年「会報33号」より抜粋
第190回「淀川を歩こう第10回」(12月例会報告) (12期 伊藤(巌)さん)
開催日:2024年12月1日(日)「淀川を歩こう」第10回を開催しました。
参加者:13名(荒木・池田・板倉・大谷・太田・大西・郷原・瀬崎・高崎・長澤・原・堀西・伊藤)今回も前回に続き多くの方が参加されました
コース:京阪守口市駅ー難宗寺ー大塩書院跡ー江戸川乱歩寓居跡ー文禄堤ー豊里大橋ー淀川橋梁ー毛馬水門
報告:
今回は地元在住の板倉さんに守口市内を案内していただきました。
最初に訪れた難宗寺には樹齢500年の銀杏の大木があり見事な紅葉に迎えられました。
「大塩平八郎の乱」で知られる大塩書院跡は駐車場の隅にひっそりと石碑が立っていました。
明智小五郎を生み出した江戸川乱歩の寓居跡を探すのに苦労しましたが、今はマンションになっていますが赤階段が目印です。
秀吉が築いた元禄堤は、守口市のここだけに残されていて堤の上は昔の面影がある京街道でした。
その後守口市役所で休暇し京阪商店街を抜け、太子橋今市から豊里大橋にいき南詰を淀川河川敷を進み、風の弱い場所で昼食。城
北公園横のワンドでは釣りを楽しむ人も散見されました。
淀川橋梁は旧赤川鉄橋として親しまれ、城東貨物線が通り歩道もありましたが、現おおさか東線開通に伴い歩道は2023(平成5)年閉鎖されました。
堤防を進むと与謝蕪村の生誕の地碑と句碑もあります。
毛馬水門は、淀川改修工事の際に計画され大川(旧淀川)に流れる水量調節と、水位差で困難となる船舶の通行をスムーズにするための設備で、1907(明治40)年に最初の設備が完成しました。レンガ造りの第1閘門は産業遺産に登録されています。
長柄橋から24号線を南下し天神橋筋六丁目にゴールしました。
次回「淀川を歩こう」第11回は、3月から再開の予定です。