第179回「堺市内を巡るー第2回」(9月例会報告)     (12期 伊藤(巖)さん)

2023年9月3日(日)

参加者:5名(荒木・池田・堀西・本田・伊藤)

コース:南海本線七道駅ー河口慧海像ー高須神社ー鉄砲鍛冶屋敷ー山口家住宅ー本願寺堺別院ー妙国寺ーザビエル公園ー方違神社ーJR堺市駅

 

報告:当日は猛暑日となり参加者は少なかったです。熱中症に注意しながら日陰を選び歩きました🚶

七道駅前には堺市で生まれ日本人として初めて鎖国下のチベットに潜入し仏典などの多くのチベット文化を持ち帰った河口慧海を顕彰する像があります。

鉄砲鍛冶屋敷と山口家住宅は2024(令和6)年春まで改装工事で休館なので見学出来ませんでした。本願寺堺別院は1876(明治4)年から10年間堺県庁が置かれていました。堺県は今の大阪府下の枚方市から河内長野市までと奈良県に及ぶ広い県でした。本堂は市内最大級です。

妙国寺は大蘇鉄伝説と堺事件で切腹した土佐藩12烈士の墓がよく知られています。

最後に摂津・河内・和泉の3ヶ国の境界にあり「さかい」の地名の起源になった方違神社に参拝してきました。

 

10月例会は10月1日(日)堺市南部を巡る予定です。詳細は後日お知らせします。

第178回「堺市内を巡るー第1回」(7月例会報告)     (12期 伊藤(巖)さん)

2023年7月2日(日)

参加者:11名木・池田智昭・池田チヅ子・太田・大谷・原・堀西・本田・森・渡辺・伊藤)

コ―ス:南海本線堺駅―大浜公園―旧堺灯台―蘇鉄山―フェニックス通り―さかい利晶の森―千利休屋敷跡―宿院頓宮―山之口商店街―開口神社―堺市役所展望ロビ――南海高野線堺東駅

 

報告:かつて南海本線堺駅のすぐ南に龍神駅がありました。
ここは大正元年に阪堺電気軌道大浜支線(宿院―大浜水族館間)と阪堺鉄道が交わる地点に設置され大変賑わいました。しかし、1945(昭和20)年の大空襲で大きな被害を受け、1949(昭和24)年大浜支線が廃線になり、龍神駅も消滅し、1955(昭和30)年現在の新生堺駅が誕生しました。

1903(明治36)年「内国勧業博覧会(万博)」が新世界と堺の大浜公園で開催され、大浜公園では水族館などが建設され大勢の入場者で賑わいました。博覧会終了後は堺市に払い下げられました。しかし、室戸台風で大破し1937(昭和12)年東洋一と言われた水族館を再建されましたが集客数減少で1961(昭和36)年閉館となりました。

旧堺灯台は、1877(明治10)年の建設で六角錐形の木造洋式灯台でしたが1968(昭和43)年に灯台の役目を終えました。当日は今年最高の暑さでしたが、高速道路の日陰で潮風を感じながら灯台を眺めての食事はよかったです。

大浜公園にある蘇鉄山は標高6.97mで一等三角点のある日本一低い山。神明神社で登山証明も貰えました!

フェニックス通りを東に進み、さかい利晶の森で休憩・千利休屋敷跡・宿院頓宮を経て、山之口商店街では戦争中に沢山造られました。今は唯一商店街に残っている防空壕を見学しました。開口神社に参拝し最後は堺市役所展望ロビ―から堺市内を一望し散会しました。

 

8月15日(火)は特別例会で「平城京跡のつばめの塒入り」が予定されています。お楽しみに‼️

第177回「天保山周辺を巡る」(6月例会)報告                                          (12期 伊藤(巖)さん)

2023年6月4日(日)
参加者:13名(荒木・飯島・池田智昭・池田チヅ子・太田・大谷・大森・郷原・中山・柳楽・原・森・伊藤巖)

コース:大阪港駅ー商船三井築港ビルー天満屋ビルー中央突堤ー釈迦院ー大阪築港赤レンガ倉庫ー港住吉神社ー天保山公園

報告:最初に訪れた2つのビルは、過去の2度の台風で道路がかさ上げされ1階は半地下になっています。中央突堤は今は訪れる人も少なく、先端に行くと大阪湾が見渡せて良い眺めです。かっては築港大桟橋で1903(明治36)年大阪市電第1号が花園橋から走り、当時は2階建て電車に乗って魚釣りに行く庶民で賑わったそうです。

釈迦院は築港高野山の山号で創建は1910(明治43)年です。境内には、浪曲塔や潜水艦が淡路仮屋沖で潜水テスト中機械故障で浮上出来ず犠牲になった人の供養塔もあります。

大阪築港赤レンガ倉庫(旧住友倉庫)は、現在クラシックカーの展示や販売をしています。レストランもあります行ってみられる事をお勧めします。

天保山は標高4.53mで三角点のある山では日本一低いです。
ここは庶民の憩い場所になったり軍事施設になったりを繰り返し、時代の流れに翻弄されましたが、今は大勢の観光客で賑わっていました。

 

次回、7月例会は、7月2日(日)南海本線堺駅周辺を巡ります。お楽しみに、詳細は後日お知らせします。

第176回「昭和山と周辺を巡る」報告(12期 伊藤(巖)さん)

2023年4月9日(日)

参加者:12名

コース:10:00大阪メトロ桜川駅に集合。

報告:赤手拭稲荷―南海電鉄汐見橋駅―木津川駅―栗本鐵工所発祥地碑―昭和山―近代紡績工業発祥地の碑―上八坂神社―JR大正駅

報告:南海電鉄汐見橋駅は1900(明治33)年高野鉄道が大小路駅(現堺東駅)から延伸し道頓堀駅として開業し翌年汐見橋駅に改称。

南海高野線の正式な起点だったが1932(昭和7)年難波駅から高野山へ直通運行になり汐見橋線は岸里玉出までの折り返し運転で30分間隔の運行。

今でも南海電鉄の最北の駅。難波駅より北になる木津川駅。

現在は1日の乗降客は千人程度で都会の秘境駅と言われている。開業時は、貨物輸送が主で紀伊山地で伐採された木材を橋本駅で貨物に積み替え木津川駅まで運び、渡船を使って大正区の貯木場まで運んでいた。

昭和山・・・貯木場だつた所へ、1969(昭和44)年地下鉄谷町線工事で掘った土170万㎥を積み上げた人工の山で高さ33mで市内2番目。山頂からは360度の大展望を満喫出来る。

近代紡績発祥の地(三軒家公園)・・・1883(明治1)6年渋沢栄一らが出資し大阪紡績会社設立し、この地を中心に多くの紡績繊維が出来て「東洋のマンチェスター」と呼ばれた、東洋紡の前身。

中村勘助(木津勘助)・・・三軒家開発の功労者で上八坂神社境内に顕彰碑がある。

 

次回、6月例会の詳細は後日お知らせします。
*5月7日・14日は<雨が予想されるため>→5月例会は中止します。

第175回「喜連環濠巡り」報告(12期 伊藤(厳)さん)

2023年3月5日(日)

参加者:15名:男性(荒木・太田・大森・郷原・柳楽・伊藤):女性(飯島・池田・大谷・髙良・原・弘田・前田・森・渡辺)

コース:大阪メトロ平野駅―南港通り―灌漑長閘紀功碑―西口地蔵―中高野街道碑―楯原神社―如願寺―屋敷小路―法明寺―馬倉地蔵―南口地蔵―長居公園通り(古代の磯歯津路)―大阪メトロ喜連瓜破駅

報告:

喜連は本居宣長が古事記伝にクレが訛った地名で万葉集に「くれひとさと」は喜連のこととしている。「くれひと」は大陸文化をもたらした渡来人のこと。

縄文時代の海面は今より高く喜連は古代河内湾南岸の良港だつた。中世には喜連城があり江戸時代には酒・油・薬などの地場産業が生まれた。今は屋敷小路を中心に歴史的建造物の社寺や古民家が残り環濠の出入り口だつた所には地蔵尊が祀られている。ただ環濠は昭和41年に埋められた。

楯原神社は崇神天皇6年(243年)創建でかつて神領地が北は天王寺区味原、南は堺市美原区多治井だったとか。境内には元石上神宮にあつた十種神宝を祀る宮がある。また、宮の横に高さ30センチ程の「息長真若中女姫」の碑がひっそり立っている。地元の北村家の家記によるとこの姫は応神天皇の后で子の「若沼毛二俣王」は継体天皇の高祖父とのこと。また、神功皇后の諱も「息長たらしひめ」で何かつながりを感じられる。

興味のある方は一度訪ねて見てください。おしゃれな喫茶店もありますよ。

 

次回は4月9日大正区の昭和山と周辺を巡ります!

詳細は後日お知らせします。

特別例会「新春凧上げ大会」報告(19期 糸賀さん(関西久徴会副会長))

恒例の平城宮跡歴史公園での連凧揚げ会参加報告

 

開催日:2023(令和5)年1月3日(火)

開催場所:平城宮跡歴史公園

 

あけましておめでとうございます。

恒例の平城宮跡歴史公園での連凧揚げ会に参加しましたので報告します。

13:00 近鉄大和西大寺駅集合。ほぼ人数がそろったので徒歩出発、途中、昨年6月の安部元首相の襲撃事件現場交差点横でいったん停止、合掌してから凧揚げ会場の平城京跡歴史公園に向かいました。

天候は、時々晴れ間の覗く曇り、あまり寒くはなかったのですが、凧揚げにはあいにくの無風で、うまく揚がるかどうか心配しました。

現地に到着、広い平城宮跡歴史公園の中で、周囲よりひときわ高くなった遺構の上に上り、1本目の連凧の準備をするも、風吹かず。不安な状況でしたが、しばらく待つとそよそよと西風が吹きはじめ、凧揚げ名人達の工夫と、参加者の声援で1本目が風に乗り、結局4本の連凧を揚げることができました。4本の連凧の揚がる景色は壮観で、通りすがりの人たちも一緒に見上げ見とれていました。

現地集合のお子さん、お孫さんも一緒になって、総勢30名を超える賑やかな凧揚げ会になりました。しばらく熟練者の指導のもと、初心者や子供達も大はしゃぎで凧揚げを体験、連凧の強い引きを体感して大満足でした。

2時間ほどで風が止み、凧の勢いが弱くなってきたため、凧を丁寧に下ろし畳んだところで凧揚げは終了し、記念の集合写真を撮り、遺構横に降り打ち上げを行いました。

最初に昨年10月に他界された一と百の会のリーダーの一人でもありました故川路愛子さんを偲んで献杯しました。

手作り感満載の打ち上げで、赤貝煮つけ、野焼き、大根の豆乳漬け、げその天ぷら、新竹筒と竹盃の熱燗などなど、最高でした。コロナも退散する賑やかな打ち上げで、楽しいひと時を過ごすことができました。

連凧の補修から、当日のごちそう準備まで、一と百の会を中心とし、お世話をいただいた皆様本当にありがとうございました。

今年が良い年になりますように‼

第174回「大阪市北区中之島周辺散策」報告(12期 原さん)

2022年6月5日(日)

参加者:11名

池田、大谷、大西、飯島、荒木、太田、大森、森、高良、高崎、原

コース:大阪市役所玄関前10:00→大阪府立中之島図書館(耐震化工事中)→中央公会堂 東洋陶磁美術館(工事中)→京阪なには橋駅(地下)→子供の本の森→バラ園10:20~45→日本銀行大阪支店11:00→土佐堀川沿い遊歩道散策

錦橋(アーチ橋)11:25→中之島フェステバルタワー→フェステバルタワーウエスト中之島香雪美術館→遊歩道ベンチにて昼食11:30~12:15 三井ガーデンホテル経由→大阪中之島美術館12:35 現地解散13:00

 

報告:

6月例会は大阪市北区中之島周辺散策になりました。

大阪市役所前には11人が集まりました。

すぐ南の淀屋橋のたもとで集合写真を撮ってもらいました。

数歩行くと大きな秦山木の木に白い大きな花がちらほらと咲いていました。

大阪府立図書館(工事中)を通り中央公会堂を過ぎ、東洋陶磁美術館(工事中)を過ぎ京阪なには橋駅(地下の駅)を通り向かいには「子供の森」があってバラ園に入るとすでに、バラの花は終わってはいましたが「バラの小径」を散策することにしました。5月23日の下見にはまだ沢山咲いていました。花はみな摘んであり見ることができず残念でした。

バラ園より先、中之島東の端天神橋がかかり、その下剣先公園の先端には噴水がありそこから大川(旧淀川)の中州が始まり北が堂島川、南が土佐堀川となります。西の端からは安治川になり大阪湾へと流れて行きます。

バラ園より堂島川沿いに西に引きかえし、大阪市役所向かいの日本銀行大阪支店の左を通り土佐堀川沿いの樹蔭のある遊歩道に入ると、ところどころに鉄製の彫刻があり2個の大きな座布団の形をした物もありました。

少し行くと1931(昭和6)年に建造された歩行者専用のアーチ形の錦橋があり、橋の中央部に古き大阪のモザイク画の展示があり、渡ったところにはTVドラマのモデルにもなった大同生命ビルがあります。またすぐ先の四ツ橋筋には肥後橋が掛り、右にはフェステバルタワーがあり、道を挟んでフェステバルタワーウエストがあり中の島香雪美術館が見えていました。

過ぎたところでそろそろ遊歩道も終わりに近づき、手ごろな空きベンチもあり少々早めの昼食タイムとなりました。

川沿いの遊歩道は三井ガーデンホテルで終わり、ホテル2階の歩道を通り下りたらすぐに黒い角張った新しく完成した大阪中之島美術館の道を挟んで国立国際美術館も見えてきました。中之島美術館1階南側のエントランスに入ると真新しい腰掛けしやすい椅子やベンチのある落ち着いたパッサージュ(通路兼ロビーにもなる)にて休憩、談笑し解散と致しました。

 

注)

○大阪市役所:大阪は24区あり人口270万人、府の人口は880万人。

○大阪府立中之島図書館:住友友純(住友家15代当主)による建築費、図書購入資金の寄付にて生まれた。1904(明治37)3月1日開館。

○大阪市中央公会堂:岩本栄之助の寄贈。戦争と相場混乱に立ち向かい公会堂建築の傑作を生んだ。原設計は岡田信一郎 実施設計は辰野片岡建築事務所で1918(大正7)年10月31日竣工。

○東洋陶器美術館:住友グループ寄贈(安宅コレクション等)1982(昭和57)年大阪市が設立。

○子ども本の森:安藤忠雄2020(令和2)年3月1日建設。児童専門図書館で寄付と寄贈にて運営されている。

○バラ園「バラの径」:水都大阪2009(平成21)年京阪園芸にてリニュアル。

○日本銀行大阪支店:建築は1903(明治36)年。設計は辰野金吾、葛西万司、長野宇平治。

○アーチ橋:錦橋1931(昭和6年)歩行者専用アーチ橋として完成。中の島には23の橋があり自動車では通れない橋が錦橋、水晶橋、中の島ガーデンブリッジがある。

○フェステバルタワー:設計は日建設計。2012(平成24)年11月建設(地上200m、F34階)。

○フェステバルタワー ウエスト:1階中之島香雪美術館では1年間の開館記念展「村山コレクション展」があった。村山龍平と朝日会館、朝日新聞創業者で1926(大正15)年開館。

○国立国際美術館:完全地下型美術館で外観は竹の生命力をイメージしている。1975(昭和50)年旧万国博美術館を無償で譲り受けたもので、1977(昭和52)年現代美術館として開館。

○市立科学館:観て触れて遊ぶ室内空間で2019(平成31)年リニュアルオープンする。

○大阪中之島美術館:設計2021(令和3)年遠藤克彦、ビジュアルアイデンテイーデザイナー大西隆介。吹き抜け室内空間建築で四角い黒い外観5,600点にもおよぶ貴重な美術品を貯蔵。

佐伯祐三作品の寄贈をきっかけに広がったコレクションの礎、日本近代美術館である。

第173回「大阪低山巡り (1)」報告(12期 池田さん)

大阪低山巡り (1) 茶臼山 周辺

 

2022年5月8日 (日)

参加者:17名

  荒木、伊藤、池田(智)、太田、大谷、大西、郷原、佐藤、高崎、高良、柳楽、長谷川、原、堀西、森、山口、池田(チ)

コース:JR天王寺駅10:45→統国寺→慶沢園12:20→茶臼山→安居神社13:30→四天王寺→庚申堂14:40→庚申街道→15:30天王寺

 

報告:

 今回 以前にもガイドして頂いた事がある 12期の伊藤 巖さんが案内役を引き受けて下さいました。

 

 JR天王寺駅に17人が集合。先ずは天王寺公園方面へ向けて出発です。
5分余歩いた所に、黒田藩長屋門 へ(江戸時代の黒田藩蔵屋敷の表門で大阪府の有形文化財)。そこから  ○○ホテル街を抜け 統国寺へ。入ってすぐに、ベルリンの壁(1988年に崩壊され、1998年に信徒が朝鮮半島の統一を願い寄贈。高さ3・5m 幅1・2m 厚さ20㎝)2枚あります。

江戸時代からの豪商住友家の別邸であった慶沢園へ。純日本風の庭園で 中央部に池を配置 築山を築き 白、ピンク色の睡蓮の花が咲いていました。ここで昼食を摂り、記念写真をし、茶臼山に向かいます。

茶臼山(高さ26m) 5世紀頃の 前方後円墳説と和気清麻呂が堀を掘った土砂を積み上げた説とがあるとの事。

山頂は若葉が繁り ベンチもおいてあり 整備されている。

一心寺の横を通り抜け、菅原道真を祀る 安居神社へ。お参りを済ませて 神社を出ると急坂。天王寺七坂のひとつ 天神坂だ。途中に石組みの樋があり付近に名水があったのであろう。

フウフウ言いながら坂を上り、星光学院の前を通り 四天王寺に到着。石鳥居をくぐって 中門の前の広場には 多くの露店が出ており賑わっていました。亀の池、六時堂、石舞台、五重の塔等々を視、南大門を経て 10分弱歩き 庚申堂に着きました。日本最古の庚申尊を祀る寺院だが、建物は

大阪大空襲で焼失、大阪万博の際 仏教会が会場の休憩所として建造し 閉幕後に移転し 寄進されたもので 綺麗だった。

四天王寺南大門を起点とし 庚申堂前を通り 平野区で古市街道と合流する庚申街道 。

今回は時間もなくなり最後迄 歩く事が出来ませんでした。申し訳ありません。

 

伊藤さん 有難うございました。この先も 宜しくお願いします。(12期 池田チ 記)

母校創立102年目「新春恒例連凧あげ」報告(12期 池田さん)

明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いします。

 

日時:2022年1月3日(月)晴れ 13:00集合

場所:平城宮跡
参加者:38名

 

報告:

2022年1月3日は 新春恒例 連凧あげに 38名の会員 ご家族 ご友人の皆様に参加して頂きました。有り難うございました。お疲れ様でした。

天候にも恵まれ 大空に舞い上がる5基の連凧 壮観でした。この2年間コロナ禍で 籠りがちな生活の中久しぶりの晴々とした壮快な気分の一日にさせて頂きました。有り難うございました。

 

その後 12期5名で駅前の店に入り、出ようと立ち上がった時、隣の席にいた女性から声をかけられました。
「そのマーク出雲高校ですね」と。
内2人が校章入りTシャツを着てました。

 

聞けば21期 広島在住の方で菖蒲池に在住の姉(他高校)を訪家してるとの事。
また、一緒にいた12期の一人が その方の実家(お寺)の檀家だというのです。

世間は広いようで狭いですね。何処にご縁があるかわかりませんね。


厳しい寒さとコロナに気を付け、一日でも早く皆様にお会い出来ますよう楽しみにしています。

第171回「大阪渡船巡り (3)」報告(11期 原さん)

日時: 202112月5日()   9:30

行先:大阪渡船巡り(3

集合場所:大阪メトロ中央線大阪港駅 改札口 9:30

参加者:11名(伊藤、荒木、池田、飯島、太田、郷原、高橋、高良、森、渡辺、原 )

コース:メトロ大阪港9:40→マーメイド像10:00→天保山公園→10:40→天保山渡し11:00→桜島駅11:30→桜島公園(昼食)12:25→ガソリンカー慰霊碑13:05→安治川トンネル13:55→川村瑞賢紀功碑14:20→安治川トンネル14:40JR、阪神西九条駅15:00 解散

 

報告:

大阪渡船巡り第3回 最終回も12期伊藤巌さんのガイドで巡りました また他の遺跡もたくさん巡ることができました。

現存する大阪の無料渡船は8か所あります(元は67か所)が、一番北にあるのは港区と此花区にかかる天保山渡しです。

先ずは安治川の河口にあり海遊館の西裏になるコペンハーゲンから送られたマーメイド像を見学しました。

表に出ると海遊館入場口にはたくさんの人が並んでいました 観覧車の下を通り天保山公園に入り大阪市で一番低い山4.53mの天保山の二等三角点(設置年が1911(明治44)年)を見て下に降り100m先の天保山渡し(1905(明治38)年に開設された)に向かいました。

11時発の渡船には自転車組の外国人の数人と日本人自転車組1213人組が先に乗り、徒歩組は後から乗り込みました。

今日は穏やかな安治川を100m先の此花区の桜島渡しに着きました 右にユニバーサルスタジオ、ジャパンの裏側沿いに少し歩くとJR桜橋駅に出ました JR線伝いに歩きユニバーサルシテ駅の手前の公園にて昼食としました。

曇ってきたため昼食は早めに切りあげ、つぎの安治川駅手前にあるガソリンカー慰霊碑(1940(昭和15)年1月ガソリンで走っていた通勤電車が燃え約200名の方がお亡くなりなった碑) 今度は線路を右に歩き安治川トンネル目指して歩きました。

次には線路を離れ川沿いに歩き、六軒家橋を渡りJR環状線の下をくぐり安治川水門の下に作られたトンネルを歩きました。西区に有る川村瑞賢紀功碑のある公園まで歩きました。川村は16884(天和4)年年淀川洪水の被害を防ぐために大阪の治水工事に当たり安治川の開削工事を12万人の人夫を集め わずか20日間にて完成をさせました また安治川トンネルに戻り此花区に出て先に見えるJR、阪神西九条駅に着き、1500に解散をいたしました。

 

伊藤さん3回のガイド有り難うございました 皆様もお疲れ様でした。

私の感想は、渡船巡りだけではなく大阪の治水のこと地理や歴史のことが少しですが理解でき大変有意義な渡船巡りとなりました。

第170回「大阪渡船巡り(2)」報告(11期 原さん)

日時:2021年11月28日(日)

行先:大阪渡船巡り(2)

集合場所:地下鉄四つ橋線北加賀屋駅  西口改札口  9:30

参加者:9名(伊藤、荒木、池田、飯島、太田、郷原、高良、渡辺、原)

コース:北加賀屋駅 9:40→木津川渡し10:30→木津川飛行場跡10:45→船町工場群→船町渡し11:00→鶴町中央公園(昼食)12:40→千歳渡し13:00→甚兵衛渡し13:40→市岡パラダイス跡14:40→弁天町駅(メトロ中央線JR駅)15:00 解

 

報告:

大阪渡船巡り第2回も天候に恵まれ、12期伊藤巌さんのガイドで住ノ江区北加賀屋駅に9人が集まりました。

朝四つ橋線の事故で9時前にやっと電車が動き、京都からの参加者の方は欠席となりました。

木津川渡しは便数が少なく10:30の便に乗れるように急ぎました 渡船の時刻は1時間に2回、3回、4回と渡し場所によって違っていました。

高くに見える新木津川大橋の下を渡り大正区に入りました 渡った右手に木津川飛行場跡碑が建っていました(1934(昭和4)年から14年迄利用されていた)飛行場は八尾飛行場と伊丹飛行場に引き継がれました この辺りは歴史のある中山製鋼所やら近代的な日立造船所などの船町工場群を通り次の木津川運河にかかる船橋渡しを渡り、マンションの多い鶴町1丁目バス停を通り鶴町中央公園にて昼食をとりました。

そこから鶴町4丁目にある千歳渡し(尻無川と大正内海に入る広い渡し)に着きました

そして今日最後に渡る甚兵衛渡しは北恩加島の住宅地、市道浪速鶴町線を北に歩いたところに有り乗船者は自転車に乗ってる人も多くいらっしゃいました。

今度は港区になります。

北西に伸びる道を歩き、国道170号線を渡るとメトロ中央線が見えてきました しばらく歩くと弁天町駅近くのビルの壁に市岡パラダイス跡(大正14年

の1925年から1930年まで)当時の写真入り銅版画がかかっていました そして弁天町駅にて15:00現地解散になりました。

伊藤さんガイド有り難うございました。